48.3歳 ― 2024年05月02日 23時59分30秒
幸福度が最も低下するのは「48.3歳」なんだそうな。この記事の指摘は結構当たってると思うんだよね。自身に当てはめてみると、どん底だったと思うのは50~52歳頃かな。俺のサラリーマン人生の暗黒時代。
本社の経営企画部への転籍が決まり、同期入社の本社採用150名による出世競争のトップに立ったのが47歳の時。 ...一瞬だったけどね(笑)。転籍後まもなく過去最大の大赤字プロジェクトの現場立て直しの為に特命派遣され、海外赴任中に事業売却が発表されたのが49歳のとき。この時点で経営企画部に戻る道は絶たれた。事業売却から丸4年が経過。浮草のように流れに身を任せながら、新しい環境に適応しながら仕事をしてきた。
事業売却後は海外出張の条件が劇的に改善され、今の職務内容や処遇には意外と満足してたりもする。出世なんてどうでもよくなったというか、今みたく海外で仕事してる方が自分には合っていると思う。出世の道が途絶えたことで、自己を肯定する為にはそう考えるしかなかったよーな気もするけど、今は心からこの選択をして良かったと思う。取締役なんかになるよりも海外赴任してる方がリタイヤ後の活動資金が早く貯まるし、リタイヤの時期も決めやすくなったし。そもそも俺には人様の生活を支えるほどの器が無いし。
リタイヤ後にやりたいことが思いつかない人は悩みが絶えないのかもしれないけど、俺はリタイヤするのが楽しみなんだよね。リタイヤ後も働くつもりだけど、お金儲けの為に働くんぢゃなくて、自分の興味のあることをやるのが楽しみなんだよね。50歳も半ばに近づいた今人生において大切だと思うのは、「健康」、「挑戦すること」、「人と比べないこと」、「腐らないこと」、「謙虚になること」。健康に産んでくれた母に感謝(^^)
本社の経営企画部への転籍が決まり、同期入社の本社採用150名による出世競争のトップに立ったのが47歳の時。 ...一瞬だったけどね(笑)。転籍後まもなく過去最大の大赤字プロジェクトの現場立て直しの為に特命派遣され、海外赴任中に事業売却が発表されたのが49歳のとき。この時点で経営企画部に戻る道は絶たれた。事業売却から丸4年が経過。浮草のように流れに身を任せながら、新しい環境に適応しながら仕事をしてきた。
事業売却後は海外出張の条件が劇的に改善され、今の職務内容や処遇には意外と満足してたりもする。出世なんてどうでもよくなったというか、今みたく海外で仕事してる方が自分には合っていると思う。出世の道が途絶えたことで、自己を肯定する為にはそう考えるしかなかったよーな気もするけど、今は心からこの選択をして良かったと思う。取締役なんかになるよりも海外赴任してる方がリタイヤ後の活動資金が早く貯まるし、リタイヤの時期も決めやすくなったし。そもそも俺には人様の生活を支えるほどの器が無いし。
リタイヤ後にやりたいことが思いつかない人は悩みが絶えないのかもしれないけど、俺はリタイヤするのが楽しみなんだよね。リタイヤ後も働くつもりだけど、お金儲けの為に働くんぢゃなくて、自分の興味のあることをやるのが楽しみなんだよね。50歳も半ばに近づいた今人生において大切だと思うのは、「健康」、「挑戦すること」、「人と比べないこと」、「腐らないこと」、「謙虚になること」。健康に産んでくれた母に感謝(^^)
リストラ ― 2019年12月06日 23時10分04秒
なんと、26年働いてきた会社から離れることになった。 ...と言ってもこちらから会社を辞める訳では無くて、いわゆる事業売却ってやつ。いま勤めている会社は海外工事で莫大な赤字が発生して財務基盤が大きく毀損してしまい、債務超過を回避する為に資産や事業売却を進めている段階。自分は子会社に転籍して、よその会社に売られていくことになった。「ドナドナドーナードーナー、仔牛を乗~せ~て~」って気分。
実は今年の3月頃、年末までには本社に戻り、経営企画部内のとある室長への就任を打診されていた。それが先日の事業売却後の配属先についての面談の場で、「本社にあなたの受け入れ先はありません」と言われた。はっきり言ってくれてよかったんだよね、もやもやが晴れてすっきりした。それにしてもまさか自分がリストラされる日が来るとはね、世のなかは諸行無常。クビになった訳では無いし、今できることを頑張るだけなんだけど、長年親しんだ会社からの離脱に切ない気持ちになるのも事実。
幸いプラントエンジニアの需要はあるようで、エンジニアリング事業を展開している企業は慢性的な人材不足の問題を抱えているところが少なくない模様。事業を買ってくれる会社があったんだから、まだ幸せな状況なんだよね。受け入れ先は今よりずっと規模の大きな大企業だし。まだあと最低でも10年は働かないといけないけから、腐らずに頑張らないとね。
経営にかかわる機会を失ったのはちょっと残念なんだけど、ビリオンダラープロジェクトのエンジニアリングマネージャを経験させてくれた会社には感謝以外の何もない。恨みつらみは一切無くて、心からそう思う。今の会社にはこの先も非常に厳しい現実が待ち構えているんだけど、事業の売却益を有効に活用して何とか復活を果たして欲しい。
なにはともあれ、自分の人生にとって12/4は忘れられない1日になると思う。後に昔話として笑って話せるようになってるといいな。
実は今年の3月頃、年末までには本社に戻り、経営企画部内のとある室長への就任を打診されていた。それが先日の事業売却後の配属先についての面談の場で、「本社にあなたの受け入れ先はありません」と言われた。はっきり言ってくれてよかったんだよね、もやもやが晴れてすっきりした。それにしてもまさか自分がリストラされる日が来るとはね、世のなかは諸行無常。クビになった訳では無いし、今できることを頑張るだけなんだけど、長年親しんだ会社からの離脱に切ない気持ちになるのも事実。
幸いプラントエンジニアの需要はあるようで、エンジニアリング事業を展開している企業は慢性的な人材不足の問題を抱えているところが少なくない模様。事業を買ってくれる会社があったんだから、まだ幸せな状況なんだよね。受け入れ先は今よりずっと規模の大きな大企業だし。まだあと最低でも10年は働かないといけないけから、腐らずに頑張らないとね。
経営にかかわる機会を失ったのはちょっと残念なんだけど、ビリオンダラープロジェクトのエンジニアリングマネージャを経験させてくれた会社には感謝以外の何もない。恨みつらみは一切無くて、心からそう思う。今の会社にはこの先も非常に厳しい現実が待ち構えているんだけど、事業の売却益を有効に活用して何とか復活を果たして欲しい。
なにはともあれ、自分の人生にとって12/4は忘れられない1日になると思う。後に昔話として笑って話せるようになってるといいな。
ターニングポイント ― 2017年05月25日 22時45分43秒
自己紹介でも書いてるように俺はプラントエンジニア。大学を卒業して今の会社に入り24年余、ずっとプラントエンジニアリングに携わってきた。自分が最初に配属されたのは専門色の強い最もマイナーな部署。実績と経験を積みながら、10年余り前から設計全体の取りまとめを担当するようになった。現在は創業以来最大規模のプロジェクトのエンジニアリングマネージャを担当し、誰からも文句を付けられることの無い実績を作ってきた。次はプロジェクトマネージャをやるつもりだったし、周りからもそう期待されていた。
そんな中、昨日トップマネージメントから一通のメール。それは予想もしなかった異動の通知。新しい配属先は本社のとある部署。今までに積み上げた経験と知識が全く生かせないわけではないと信じたいけど、配属先は知見の無い新しい分野。長年身を置いてきたプラントエンジニアリングとは全く異なる業務内容。常々新しいことに挑戦していたいと思っていたけど、新し過ぎて躊躇してしまう自分。本人の希望を尋ねる事もなくたった一通のメールで決まる新しい配属先、これがサラリーマン人生というやつか。自分の思い通りにやりたければ、会社を辞めて自営業をやるか社長になるしかない。
今の事業部のマネージャーとの関係は良好だし、生え抜きの自分を外には出したくなかった様子は感じられる。異動の理由は「事業部外からの強い推薦による」とだけの説明。事業部外には同期以外に知り合いなどいないし、訳が分からん。どうやら左遷って訳ではなさそうだけど、実のところ詳細はよく分からない。マイナー部署から抜け出して運が味方すれば事業部のトップが狙えるカモという位置に身を置いたと思った矢先の異動、世の中一寸先は闇。
まぁ悩んでも仕方ない。命取られる訳でもないし、この異動で家族が食うに困るわけでも無い。震災で職を失った人や働けなくなった人、家族を失った人の苦しみに比べたら異動なんて悩みでもなんでもないし。難病に苦しむ同僚の奥さんに比べたらこんなこと屁でもない。設計や建設の第一線から離れる寂しさはあるけど、新しい仕事はもっとやり甲斐のある可能性も十分にある。もしかしたら自分が成長できる千載一遇のビッグチャンスかも知れないし。
何はともあれ、2017年5月24日が自分のサラリーマン人生のターニングポイントとなる1日となったことは間違い無いと思う。10年後も元気であればこのブログを書いていると思うけど、どういう風にこの日を振り返るのか今から楽しみだ。がんばれよ、俺 (^^)
そんな中、昨日トップマネージメントから一通のメール。それは予想もしなかった異動の通知。新しい配属先は本社のとある部署。今までに積み上げた経験と知識が全く生かせないわけではないと信じたいけど、配属先は知見の無い新しい分野。長年身を置いてきたプラントエンジニアリングとは全く異なる業務内容。常々新しいことに挑戦していたいと思っていたけど、新し過ぎて躊躇してしまう自分。本人の希望を尋ねる事もなくたった一通のメールで決まる新しい配属先、これがサラリーマン人生というやつか。自分の思い通りにやりたければ、会社を辞めて自営業をやるか社長になるしかない。
今の事業部のマネージャーとの関係は良好だし、生え抜きの自分を外には出したくなかった様子は感じられる。異動の理由は「事業部外からの強い推薦による」とだけの説明。事業部外には同期以外に知り合いなどいないし、訳が分からん。どうやら左遷って訳ではなさそうだけど、実のところ詳細はよく分からない。マイナー部署から抜け出して運が味方すれば事業部のトップが狙えるカモという位置に身を置いたと思った矢先の異動、世の中一寸先は闇。
まぁ悩んでも仕方ない。命取られる訳でもないし、この異動で家族が食うに困るわけでも無い。震災で職を失った人や働けなくなった人、家族を失った人の苦しみに比べたら異動なんて悩みでもなんでもないし。難病に苦しむ同僚の奥さんに比べたらこんなこと屁でもない。設計や建設の第一線から離れる寂しさはあるけど、新しい仕事はもっとやり甲斐のある可能性も十分にある。もしかしたら自分が成長できる千載一遇のビッグチャンスかも知れないし。
何はともあれ、2017年5月24日が自分のサラリーマン人生のターニングポイントとなる1日となったことは間違い無いと思う。10年後も元気であればこのブログを書いていると思うけど、どういう風にこの日を振り返るのか今から楽しみだ。がんばれよ、俺 (^^)