追憶 12011年05月20日 23時42分17秒

息子
実は上原美優さん自殺のニュースは結構ショックだった。今までも芸能人の自殺のニュースはあったと思うけど、何故か今回のニュースは悲しくなった。息子が生まれて父親になったことと関係があるのかな。

今まで人にはほとんど話したことはないんだけど、若い頃に死を考えたことがある。もし自分の経験を知って少しでも気が楽になる人がいればいいと思い書いてみる。まったく面白いところはないので、読まないほうがいいカモ...

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あれは俺が18歳の時の出来事。当時高専の4年生だった俺は数日前から前期中間試験に向けて勉強していた。それまであまり身を入れて勉強した事がなかったけど、専門教科が増えるにつれて成績は上がってきていた。頑張れは上位が目指せる位置にいて、大学編入を考えていた俺は首席を取ってやろうと初めて本気で勉強していた。

やがてテストが始まり、手応えは上々だった。テスト期間の前半を終えた頃、ドイツ語の試験の前日にそれはやってきた。他の教科は事前に勉強してたけど、ドイツ語は全く勉強していなかった。ドイツ語は4月から加わったばかりの教科で、まだ内容も浅くて一夜漬けで十分だとも考えていた。仮に点が悪くても、専門教科で十分カバーする自信もあった。

その夜は何故か集中できなくて、時間ばかりが過ぎていった。12時を過ぎて消灯時間となり、自習室も学生で溢れていたので仮眠をとることにした。布団にもぐりこんだけど、その夜は何故かいつものようには寝付けなかった。寝ようと思う程に目が冴えてきて、どんどん意識が研ぎ澄まされて行くような感じ。

何時頃だったろうか、もう眠れそうにないので布団を抜け出して暗闇の椅子に座った。しばらくすると今までに経験したことのない怖さのようなものを感じ始めた。何が怖いのか分からないが、とにかく怖い。落ち着こうと音楽を聴いたりしたが、ほとんど耳に入らなかった。頭の中は意外と冷静で何が怖いんだって自問自答しつつも、ただただ得体の知れない存在に潰されそうな不安と恐怖に手足が震えはじめた。

その理由の分からない恐怖は収まるどころか時間と共に益々強くなった。怖くて不安で、生まれて初めて死にたいと思った。死ぬ事が怖いとは感じていなかったし、むしろこの恐怖から逃れられるなら死んだ方が楽だと本気で思った。寮の屋上に上がって飛び降りるとか、どうやればこの恐怖から逃れられるか頭の中で死に方を考えた。その時にふと頭に浮かんだのが、数年前に自殺した中学時代の友人のことだった。

その友人はとても快活な女の子で、自殺とは全く無縁と思えるような元気な子だった。両親の離婚で悩んでいたようで、高校に進学して1年ほど経った頃に16歳の若さで自らの命を絶った。それまで彼女はなぜ死んだんだろうとか、死ぬ気になれば何でもできるのにと考えていた俺が、この時彼女が何故死んだのか分かったような気がした。

残された人の悲しみや正常だった頃の自分の考えが頭をよぎり、死ぬのだけはいかんと思った。それが自殺を踏みとどまった瞬間だった。ただ運が良かっただけ、彼女に助けられただけ。もしかしたら今の自分はいなかったかもしれないし、生きていたとしても違う人格になってたかもしれない。

しばらくして勉強から帰ってきた寮のルームメイトの健ちゃんが寮の部屋で震えている俺を見つけ、普通でないことを悟り夜が明けるまで寝ずに横に居てくれた。震える体をさすってくれて、朝になったら病院に行こうと励ましてくれた。そして夜が明け、健ちゃんが担任の先生に連絡してくれた。俺は助かった。

先生は俺を教官室に呼び、両親が迎えにくるから実家に帰ってしばらく休みをとるよう勧められた。実家から高専は車で1時間ほどで、暫くすると母が迎えに来た。どのようなやり取りがあったかはっきりと覚えていないけど、教官室を後にするときに母に向かって先生が言ったことは覚えている。

「学校のことは考えないでいいので、ゆっくりと休ませてください。これまでに受けた試験はほぼ全てがトップの点でしたよ。1日も出席しなくても私が責任を持って5年生に進級させますから、心配しないでください。」どこまで本当なのかは分からないけど、母はただただ頭を下げていた。

学校を出てからすぐに病院に向かった。まだメンタルヘルスなんて言葉は誰も知らなかった頃、国立病院の精神科を受診してカウンセリングを受けた。精神的に疲れているようだと言われた。強い不安や恐怖を感じることは伝えたけど、死のうと思ったことは話さなかった。ただなんとなく、それを話すと自分が精神病扱いされると思った。処方された睡眠薬を手に、久しぶりの自宅に帰った。

自宅で迎える最初の夜、またあの不安と恐怖は襲ってきた。生まれて初めて睡眠薬を飲み、ようやく丸二日ぶりの眠りについた。