原発誘致の正当化2011年03月22日 23時25分38秒

オイシイワネ
地方はなぜリスクの高い原子力発電所を誘致するのか。それは原発を誘致することによる「リスク」が、得られる「利益」により正当化されたからだろう。得られる利益というのは雇用の創出であり、税収の増加であり、地域の活性化などだ。

しかし原発でなくても、大企業の工場等を誘致することが出来れば同様の利益が得られる。リスクの高い原発を誘致しなくても同じ利益が得られるならば、住民はそちらを選ぶだろう。しかし現実はインフラの整っていない過疎の村に工場を誘致することは難しい。

欧米諸国の場合、原発や化学工場を建設する場合にはリスクと利益について深く検討し、リスクが許容できる場合にのみ建設が可能となる。これを可能とするためにはリスクを最小化することが重要であり、誘致により住民が危害に晒される確率を無視できるレベルにまで小さくすることが求められる。

ところが日本の場合は少し違っている。それは原発誘致による交付金の存在。日本には電源三法交付金制度があり、原発をはじめとする発電施設を誘致する地域には多額の交付金が支払われる。これは原発誘致による利益を高めるための施策であり、リスクの最小化とは真逆のアプローチと言える。

この交付金が日本の原子力安全に対する考え方を歪めていると思う。欧米では安全であることが最優先で、原発誘致で税金や交付金などで優遇してもらおうという考え方はしない。交付金などで優遇されると言うことは、相応のリスクを受け入れることを意味する。リスクをお金で正当化するというのはそういう事なのだ。

しかし原発事故が起これば瞬く間に被害は拡大し、交付金など受け取っていない多くの周辺自治体にまで被害が及ぶ。放射線による汚染は長期にわたり、住民の生活に深刻な影響を与える。福島第一原発の事故で被った甚大な被害と味わった恐怖は、とうてい金銭で正当化できるものではなかった。

原発の事故に関して「想定外」という言葉を何度も耳にしているが、リスクの分析が不十分だった面も否めない。しかし利益が十分に大きい為に、十分なリスク分析が行われないまま原発の誘致が進められたとも考えられる。

リスクを金銭で正当化する日本のアプローチは大きな危険性をはらんでいる。交付金制度を廃止し、論理的に安全性の分析を行ったうえで原発の存在の正当性を再検証することが求められている。