長崎原爆の日2015年08月09日 11時29分59秒

鳩
歴史や政治の事は書かないようにしているんだけど、今日は日本人にとって特別な日という事で原爆投下の事を書いてみようと思う。

今日は長崎原爆の日。70年前の今日、長崎に1発の原子爆弾が投下された。突然街の真ん中に原子爆弾が落ちてきて、街も人も一瞬にして炭と灰になった日。70年というと随分と昔のようにも感じるけど、俺が生まれた1970年には、たったの25年前の出来事だったと思うと現実味をもって感じられる。

アメリカ人の多くは戦争を早期に終結させる為には原爆投下は必要だったと考えているという。アメリカは偉大な国だと思うけど、この考えだけは到底理解できない。既に戦争遂行能力がなく、終戦を受け入れるのみの状況だった日本。制海権も制空権も失ない、武器弾薬はおろか燃料さえも枯渇し、事実上戦争遂行が困難だった日本になぜ原爆の投下が必要だったのか。

アメリカが広島に投下したのはウラン235型の原子爆弾。広島の原子爆弾投下から3日後、長崎には広島とは異なるプルトニウム型原子爆弾を投下している。戦争を終わらせるのが目的だったなら同じ種類の原爆を投下してもいい筈だし、何より既に原子爆弾を8月6日に広島に投下していたんだから、人道的に考えても2発目の投下はとうてい説明できない。

状況証拠を見る限り、長崎に2発目の原爆を投下する理由は無かった。長崎での原爆投下はプルトニウム型の威力を試すことが目的だったと考えるのが自然だと思う。

一瞬にして7万4000人の市民が命を失い、命を取りとめた人はその後何十年にも渡って辛い記憶と原爆症で今も苦しめられている。原爆投下は非武装の民間人を無差別に殺害した大量殺戮事件となんら変わらない。如何にアメリカが後付で正当化を試みようとも、一般市民を無差別に何万人も何十万人も殺害する行為は何を持ってしても正当化されるはずがない。

敗戦の混乱で政府の体をなしていない日本がマトモな被害調査さえも出来ない中で、アメリカ軍は科学者や医師で構成される調査団を派遣して被害状況の克明な調査と研究を行っていた。プルトニウム爆弾を実際の人の住む街で使い、現地に赴いて被害の実態を調査する。これのどこが人体実験と違うというのか。日本人はもっと大きな声を上げ、行動すべきだと思う。