匿名ブログに思うこと2016年03月08日 23時11分32秒

蓮
最近国会でも取り上げられている「保育園落ちた日本死ね!!!」と題した匿名ブログ。個人的には品のない文章に嫌悪感を感じるし、こんなブログの投稿を称えるようなネット市民の反応にも大きな違和感を感じる。保育園に落ちたことに対して同情はするけど、品のない文章に同情感が薄れてしまうと感じているのは俺だけではないと思う。

「死ね」とか、「子ども生むのなんかいねーよ」とか、「税金使ってんじゃねーよ」などという幼稚で汚い言葉を幼い子供を持つ母親が使っているのかと思うと、そちらに不安を感じてしまう。国に頼ろうとして満足の得られるサポートが得られないとなった途端、「日本死ね」。自分の思うようにならないと我慢が出来ない、我が儘で自己中な母親がちゃんと子供を育てられるか心配だ。

個人的には保育園を整備すべきだと思うし、待機児童は居なくなるべきだと思う。しかし一方で子供を望まない夫婦や結婚を望まない個人も居る訳で、皆が保育園を整備すべきだと思っている訳ではない事実も認める必要がある。そういう人たちも平等に税金を払っているのだから。一人の我が儘な母親のブログを国会で大々的に取り上げ、マスコミがこぞって報道し、偏った世論に流されて合理的な判断に基づく政策が実施できなくなることの方が問題だと思う。

この記事を読んで、20年前に保育園を落ちた女性の行動はクールだと思った。国会での「匿名なので起こっていることを確認しようがない」という首相の発言や、「誰が書いたんだよ」などの無神経な野次に対する抗議として、「保育園落ちたの私だ」と書かれたプラカードを持って国会前に立つという行動。

デモにしない。政権批判もしない。ただ存在だけを示す。「国会で”いるのか?”と問われたのだから、国会前で”ここにいる”と答えたかった。」んだそうな、ちょっとカッコよすぎだね。匿名で汚い言葉で文句を並べるよりも、本人がプラカードを持って国会議事堂前に立つ姿にはずっとずっと重みがある。